どもることは障害?「吃音とは・定義」を当事者が考えてみました。

コラム

私には吃音があります。話すときに、どもってしまいます。 どもることでたくさんの困りごとやイヤなこともあったし、そのおかげで色んな経験や学べてよかったこともありました。 今では、どもる自分を少しは好きになれた私がいます。 今の自分が吃音を振り返ったら、どんなことを思うのだろう? そんな思いから、吃音について考えてみました。

学術的には、吃音症(どもり)は病気・障害みたいです

吃音の定義を調べてみると、様々な考え方がありました。

たとえば、吃音の研究や治療をしている国立リハビリテーションセンターによると、WHOのICD-10を引用して、どもりを次のように定義しています。

国立リハビリテーションセンターが採用する吃音(どもり)の定義

吃音(きつおん、どもり)は、話し言葉が滑らかに出ない発話障害のひとつです。
単に「滑らかに話せない(非流暢:ひりゅうちょう)」と言ってもいろいろな症状がありますが、吃音に特徴的な非流暢には、以下の3つがあります。

音のくりかえし(連発)、例:「か、か、からす」
引き伸ばし(伸発)、例:「かーーらす」
ことばを出せずに間があいてしまう(難発、ブロック)、例:「・・・・からす」

上記のような、発話の流暢性(滑らかさ・リズミカルな流れ)を乱す話し方を吃音と定義しています。

※考察は最後にまとめて行います。

吃音は発達障害の1つ?

2010年以降、耳にしたり目にすことが多くなった気がする「発達障害」。
発達障害に分類されるものに、「自閉症」や「アスペルガー症候群」「ADHD(注意欠陥多動性障害)」などありますが、吃音症も発達障害の1つに数えられるようです。

発達障害はいくつかのタイプに分類されており、自閉症、アスペルガー症候群、注意欠如・多動性障害(ADHD)、学習障害、チック障害、吃音(症)などが含まれます。
(厚生労働省「みんなのメンタルヘルス総合サイト」)

発達障害情報・支援センターによる吃音症の定義

そこで発達障害情報・支援センターによる定義も調べてみました。

吃音(Stuttering)とは、一般的には「どもる」ともいわれる話し方の障害です。
なめらかに話すことが年齢や言語能力に比して不相応に困難な状態であり、下に示すような特徴的な症状(中核症状)の一つ以上があるものをいいます。

(1) 反復(単音や単語の一部を繰り返す)(例:「き、き、き、きのう」)

(2) 引き伸ばし(単語の一部を長くのばす)(例:「きーーのうね」)

(3) ブロック(単語の出始めなどでつまる)(例:「・・・・・っきのう」)

言語聴覚士(ST)による吃音についての定義

言語聴覚士は、「ことばによるコミュニケーションに問題がある方に専門的サービスを提供し、自分らしい生活を構築できるよう支援する専門職」だそうです(引用:日本言語聴覚士協会HP)。
ことばのスペシャリストがどのように定義するのかが気になって調べてみると、言語聴覚士の方が監修した記事がありました。
その記事では、吃音について次のように定義しています。

吃音(きつおん)とは、なめらかに話すことができない状態を指し、「流暢性の障害」ともいわれます。話すときに音や語の一部を繰り返したり、引き伸ばしたり、言葉が詰まるのが代表的な症状です。
(LITALICO仕事ナビ)

どもることは本当に病気・障害なの?当事者の自分が思うこと。

国立リハビリテーションセンターなどの研究機関や、言語聴覚士などの医療専門職にとって、吃音は障害・病気の一種なようです。「発話障害」「話し方の障害」「流暢性の障害」として、どもることは捉えられています。

でも、それってどうなのでしょうか?

私はどもることを病気や障害とは思っていません。話し方の1つだと考えています。
早口や大声で話しがちな人がいるように、
最初の言葉を繰り返したり伸ばしたり、間が空いたりするような話し方をする人がいるだけ。
ただ、それだけ。
症状でもないし、病気でもないし、障害でもなくて、
色んな話し方があるなかの1つとして、吃音があるように思っています。

当事者の自分が考える吃音の定義

なので私が考える吃音・どもりの定義は、「吃音とは、言葉(音)を繰り返したり、伸ばしたり、間が開くなどの話し方のこと」です。

※研究者や言語聴覚士の方々のなかでも、吃音を障害として考えていない人もいます。たとえば、言語聴覚士の資格をもち、金沢大学で吃音を研究している小林宏明教授は「「吃音」とは、語頭音を繰り返したり(「わ、わ、わたし」)、引き伸ばしたり(「わーーたし」)、つまったり(「・・・わたし」)して、滑らかに発話ができなくなる状態のことをいいます」と定義し、「症状」という言葉すら使っていません。

吃音は個人の障害?社会の障害?

吃音は話し方の1つなのに、何で「吃音・どもり=障害・病気」になってしまうのだろう?
もう少し考えてみました。

吃音が話し方の1つだとしても、その話し方で困ってしまったことやイヤな思いをしたことはいっぱいあります。

小学校の国語の時間は恐怖でしたし、中学校に上がった時の自己紹介は思い出したくないですし、高校生のころは女の子の前で話すのが恥ずかしかったし、大学生では就職活動が不安でいっぱいで、社会人になった今でも新規のお客様からのお電話対応などは恐れています。

なんでこんな話し方になっちゃうんだろう。
吃音がなければ困らないこともいっぱいあるのに。
吃音があるから、自分は困ってしまいます。

障害の個人モデル

どもりがあるから、困る。
吃音があるから、できないこと・できるのが難しいことがある。

これらは全部、できない原因をすべて自分で抱え込んでしまう考え方。

「吃音だから~できない」「吃音だから困ってしまう」と考えると、
たしかに吃音は「障害」だと思ってしまいます。
そしてそんな吃音は治すべき「病気」とも考えてしまいます。

障害の社会モデル

でも30年生きてると、人の優しさに包まれていることや、もっと頼っていいんだなって、改めて気づき、感謝することが増えました。

妻や友達と話しているときは、吃音がコミュニケーションの障害になることはないし、
会社の自己紹介も、人事の方からあらかじめ周知してもらっていたので、安心してどもれました。
合理的配慮を受けられて、電話対応も実際には免除していただいているので、吃音が働くなかで障害になることもありません。

困りごとの原因を自分で抱え込むのではなく、周囲に理解してもらい、環境を調整できるならば、吃音は障害にならないのでは?と思うことが増えました。

そう考えると、できないこと・難しいことの原因は、人と人との間にあって、
その間がうまく調整できないときに「障害」化するようにも思います。

吃音が障害ではなくなる生活へ

「社会が自分の困りごとの原因で、変わるのは社会だ!」なんて、私には言えません。

ただ周囲の人に日頃から感謝して、困っていることがあればサポートして、
優しい人になろうと思って過ごしていると、私が困っているときに助けてくれる人がいます。

相手とよい関係を築ければ、吃音が障害になることは少なくなりました。
またどもっても、恥ずかしくても、ちゃんと伝えきれば、相手は応えてくれることも知ることができました。

イヤな人ももちろんいるし、恥ずかしい思いをすることもあるけれど、それらはあまり気にしないように心がけています。

恵まれた環境や良き人に支えられていることを当たり前と思わず、常に感謝しながら、
「どもっても、いい人生」に、これからもなるよう頑張ります。

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