子どものころの将来への不安が、やってみたいことの原体験に。

コラム

公園をデートするアラサーのカップル

子どものころ、将来がとても不安でした。
こんな話し方の自分が、ちゃんと働けるのか、すごく不安でした。

父親が警察官だったので、親からは警察官の職に就くことを、よく勧められていました。
父の背中をみて育ち、警察官はとても素晴らしい仕事だと思っています。
日本は秩序だった社会だと世界から賞賛されていますが、そこには警察の日々の活動が間違いなく貢献しています。

でも、だからこそ不安でした。
「ふつう」に話せない自分が、そんな立派な職で勤めを果たすことができるのかと。
親の期待に応えたい自分もいつつ、やれる自信がない自分との間で、板挟みな状況でした。

30代を過ぎた今の自分が当時を振り返ると、そもそも立派でない職なんてないし、どんな仕事であろうと人のため社会のためになる。
それにできるかどうかや自信も、まずはやっていくなかで身についていくものであり、「やりたい気持ち」があるかどうかが一番大事だったなと思います。
そして「全てを自分一人で完璧にやらなくては」という気負いが、自身を苦しめていました。

僕は昔から臆病者です。
「やってみたい」と思ったことがあっても、ついネガティブなことばかり考えて、結局行動できないことが多いです。

でもネガティブな考えは、自分がつくった想像。
本当にそうであるかは分からない。
せめて、実際にやってみたことがある人の話を聞いたり、その様子を見学することなどできれば、不安をぬぐう助けになったのかなと思います。

そんな自分の原体験から生まれたやってみたいことがあります。

それは、吃音でみらいが不安な子どもたちが、大人や社会と出会い「なんだ、大丈夫そうじゃん!」って思える体験をつくること。

自分が子どものころにはなかったからこそ、こんなサービスがあったらいいなって思います。
私が叶えたい夢の1つです。

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